仙台の冬も快適!『冬の衣類の利用法』
皆さまは冬の衣類のケアをどのようにされていますか。冬の衣類は暖かいけどケアが大変ですよね。
ということで、今回はセーターやフリースの毛玉取りや着なくなった後の利用法などをご紹介します。
2020.01.16
輝く太陽のように熱く楽しい夏が間近に迫っておりますが、
その前にジメジメとした日本特有の季節の時期がやってきております。
そう、梅雨です。
梅雨の語源は、梅の実が熟す頃であることからという説や、
毎日のように雨が降ることから「梅」という字が当てられたという説などがあります。
また、これはこじつけですが普段よりも「倍の雨」が降るから「倍雨(ばいう)」なんて洒落を言う人もいます。
洒落はさておき、有力なものは梅の実が熟すからということではないでしょうか。
梅雨の時期は梅干の旬でもありますからね。
「番茶梅干し医者いらず」とか、「梅はその日の難逃れ」と言われ、日本人に重宝されてきた梅。
日本には飛鳥時代、もしくは奈良時代あたりに中国から伝来したと考えられています。
伝来した当初は果物として分類され、桃やビワなどと同様、生菓子として食べられていたそうです。
薬用として用いられるようになったのは984年のこと。
平安中期に活躍した、医師の「丹波康頼(たんばのやすより)」が、
この年に日本最古の医学書「医心方」を発表しました。
この「医心方」に梅干の効能が記されたことによって、梅干は薬用として用いられるようになります。
鎌倉時代となって武家社会を迎えると、
クラゲやアワビなどに梅干やお酢、塩が添えられたご馳走「椀飯(おうばん)」が登場します。
兵士の出陣時や、凱旋時に縁起がいい食べ物として、梅干は再び食用になりました。
ただこの時は上流階級のモノたちだけが口に出来る高級品でした。
ちなみに、あの有名な言葉「椀飯振舞」はここから生まれたと言われています。
そして時は戦国時代へと移り変わり、「梅干丸」と言う携帯食料が登場。
これは梅干の果肉と米の粉、そして氷砂糖の粉末を練ったモノで、戦場へ赴く兵士達に重宝されました。
激しい戦闘や長い行軍での息切れを調えたり、
梅干のスッパさを思い、口にたまるツバで喉の渇きを癒(いや)すなど大いに役立ったそうです。
こうして一般の兵士に伝わる事で梅干は一般庶民にも広まって行きました。
そして江戸時代になり、ようやく梅干が庶民の楽しみの一つになります。
大晦日には梅干に熱いお茶を注いだ「ふくちゃ」を飲み、お正月は黒豆と梅干などのおせち料理を食べるようになったそうです。
日本に伝わってから千年以上経った今でも愛されている梅干。
これからもその美味しさと効能で私たちを元気にしてほしいですね。
ということで、この梅雨は梅干で毎日元気に過ごしましょう。
梅雨を乗り切れば、楽しい夏が待っています。
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