|
<< 2025年11月 >>
月間アーカイブ
|
column 90.
【知っ得!施設情報】仙台市戦災復興記念館ってどんなとこ?2017-06-27
※写真はイメージです 基本情報太平洋戦争が末期に突入し、日本全土が日々空襲の恐怖におびえていた1945年(昭和20年)7月10日。仙台空襲によって、仙台市街地は焦土と化しました。123機もの爆撃機が1万発を超す焼夷弾に加え、8個の高性能爆弾を落とし、死者は3千人近くに達したといいます。 しかし、翌年に戦争が終結を迎えると戦災復興都市計画が策定され、仙台市は15年の歳月をかけて復興関連工事を進めていきました。そういった戦災からの復興を記念し、1981年4月に「仙台市戦災復興記念館」がオープンしました。 地下1階地上5階の大規模な建物ですが、資料展示室は1階のみです。和室や屋上庭園もあるので、お茶会が催されることも。伊達武将隊が開催しているミニ歴茶会「支倉ないと」は歴史の勉強にもなるので、一度参加してみると楽しいかもしれませんね。小学生以上であれば参加可能です。 展示資料には仙台藩時代のものもありますが、やはり戦後から高度経済成長期にかけての近代史に関するものが中心です。戦後市内に駐留していたアメリカ進駐軍に関しては、榴岡公園(つつじがおかこうえん)の「仙台市歴史民俗資料館」に資料があります。自分が住む街の歴史を知っているということはとても大切なことです。そちらも合わせて訪れてみてはいかがでしょうか。
フロアガイド
周辺施設情報●菓匠三全 広瀬通り大町本店仙台市戦災復興記念館のはす向かいにある、1947年(昭和22年)創業の菓子店の本店です。仙台銘菓として知られる「萩の月」をはじめ、約160種ものお菓子を東北各県で販売しています。「ロワイヤルテラッセ」「ら・ふらんす」など、食品コンクール「モンドセレクション」で特別金賞を受賞したお菓子も。県外の人を訪れる際に手土産として渡せば、きっと喜ばれるはずです。
仙台市戦災復興記念館の評判・口コミ●当時の生活を実感「当時の生活がよくわかる」 ●戦災復興のシンボル「空襲のあった日は毎年、戦災復興企画が開催されています。当時は「仙台駅から西公園が見えた」と語られるほど、中心部が焦土となりました。便利な場所なので、県内外の方に足を運んでいただきたいです」 ●胸を打たれた「会議を開催した際に訪れました。戦災の被害状況や戦後の復興状況が記録されています。街の誕生から戦前、戦中、戦後の暮らしが解説されていて、胸を打たれました」 まとめ今回は、戦災からの復興を中心とした仙台市の歴史を今に伝える「仙台市戦災復興記念館」をご紹介しました。 口コミには、生々しい歴史の爪痕に衝撃を受けた人の実感があらわれています。血のにじむような努力の上に今の平和があるのだということを、時おり思い出すことは大切です。大人はもちろん、子どもたちにもぜひ自分たちが住む街の歴史を見せてあげたいですね。 地域の情報でわからないことがあれば、まずは地域密着型のハウスメーカー「永大ハウス工業」にご相談ください。
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||